今年の春ぐらいの話ですが、秋葉原にある和風パスタのお店に入りました。まだ新しいお店らしく、客も多くはありませんでした。
さて、注文したスパゲティーが割り箸を添えて運ばれてきました。和風パスタのお店なのでお箸で頂くスタイルです。スパゲティーを箸で食べることにはべつに抵抗はありませんが、注文したスパゲティーの具が細かかったこともあり、箸では食べづらいと感じたので、店員さんに、「フォークとスプーンを貸してください。」とお願いしたところ、「申し訳ありません、当店ではフォーク等をご用意しておりません。」と店員。「申し訳ありません」と言いながら、その、全く‘申し訳ない’とは思っていない態度に僕もカチンときまして、「パスタ屋でフォークが無いなんてありえないだろ!」とプチ切れてしまいました。店員はそのまま黙って、奥に下がってしまいました。
確かに、言葉使いは正しい。おそらく、オープンしたてということで、接客に関するマニュアルなどもあるのでしょう。しかし、では何の為のマニュアルかと考えれば、それは来店した客に‘心の込もったサービスをする’ためのマニュアルであって、正しい言葉使いをするためのものではありません。僕が怒ったのはフォークが無いことに対してではなく、店員が接客の心得を考えていないことに対してです。その店員さんがこのことに早く気付いてくれるといいのですが、、、
幸い、味の方はとても良かったので、僕の怒りは鎮まり、「ごちそうさま」と言って店を後にしました。店員さんは終始真顔でしたが。
話しは変わりますが、とある花屋の店先に‘幸運をよぶクローバー’という鉢植えが売られていました。覗いてみると、小さな鉢にすべて四つ葉のクローバーが4、5本、元気なく生えていました。買う人いるのかな〜と疑問に思いましたが、陳列された感じからして、いくつかは売れている様子でした。
四つ葉のクローバーが幸運のシンボルとされているのは、誰もが知っていることです。それは、本来三つ葉であるクローバーの中にごく稀に生まれる四つ葉のものを見つけるからこそ、幸運のしるしとされているわけです。それが、初めから人工的に四つ葉に改良された大量のクローバーを、‘幸運のシンボル’と言えるのでしょうか?四つ葉であることに意味があるのではなく、数少ない四つ葉を見つけることに意味があるはずです。誰が何を売ろうが、何を買おうが自由ですが、僕はそういう意味の無いやりとりはごめんです。
昔から‘本末転倒’という言葉があります。根本的で重要なこと(本)と、些細でつまらないこと(末)を取り違えると言う意味です。しかし、今の時代は、本と末が転倒するくらいならまだましなほうで、‘本そのものが無い’ということが多すぎます。上に挙げた例にしても、‘心を込めたサービス’という本、‘数少ない四つ葉を見つける’という本が初めから忘れられているのです。
現代社会には様々な問題が氾濫していますが、それを引き起こす一番の原因は、人間が物事を考えないようになったことだと僕は思います。
自分で考えることをせずに、「人にそう言われたから」とか、「みんながそうしてるから」という理由で、意味も目的も考えず、心も無く行動している人間が本当に多い。私たち人間の行動、行為のすべてに‘本’、すなわち意味や目的や効果と言ったものがあるわけで、それが何であるかを常に把握しながら生きていくことが人間らしい生き方ではないでしょうか。‘無知は罪’という言葉がありますが、考えないことのほうがよっぽど罪です。
難しいことではありません。今自分がしようとしていることに対して、「なぜそうするのか?どういう意味があるのか?それによってどんな影響があるのか?」といったことを、ほんの少し考えればいいのです。どうか、‘本’を捜して下さい。
もうずいぶん前ですが、僕も四つ葉のクローバーを見つけたことがあります。一時間ぐらいかけて、やっと見つけました。そんなに時間がかかったという時点で、すでに運が良いとは言えませんが、逆に考えれば、運が無くても頑張れば幸運を見つけられるとも言えますよね。そういえばあのクローバー、どこにしまったかなぁ〜?