よっちゃんのぶっちゃけた話
File 29


“末っ子の話”

2004/5/10




 僕は幼い時から両親にしつけを受けたり、叱られたりした記憶がほとんどありません。その必要がないほど良い子だった、、、はずがない。 僕は兄と二人の姉を持つ四人兄弟の末っ子なのですが、末っ子というのは、頭が働くというか、世渡り上手なところがありまして、いつも 叱られている兄姉を横目でみては、「ああいうことをすると怒られるのか〜」と学習することができたのであまり叱られたりしないですんだと いうわけです。(兄姉に感謝!) ただ末っ子は甘えん坊とよく言われますが、これは僕にも例外でなく、幼い頃は母にくっついて歩いて、 「ねえ、これやって、これやって〜」と言っていたそうで、そんな僕を兄達は、「嘉昭はなんでもかんでもすぐにママにやってもらうんだから」と からかっていました。でも僕ももの心がつく頃になると、兄達にそんなふうにからかわれることをすごく屈辱的に感じるようになって、それから は、知らず知らずのうちに’自分のことは自分で’ということに強くこだわるようになったのです。これまた兄達のおかげで?、身の回りのことは、 一通りできるようになりました。僕は人に何かを頼むことが好きではありません。誰かに何かしてもらうぐらいだったら、自分でやったほうが気が 楽だし、責任もとれますから。それに、’自分のことは自分でやる。’というのは、すべて自分のためなのですから。

 こんなことをダンスの場面でも考えさせられたことがありました。五、六年前、ロンドンでドニーのレッスンを受けていた時、彼が、「君が自分の 歯を磨かなかったり、髪をとかさなかったら、いったい誰がやってくれるんだ?自分のするべきことは自分でやらなきゃいけないし、それは自分 のためだろう!ダンスだって同じ、誰も君のためには踊ってくれないのだから。」と言ったのです。その瞬間はあまりピンとこなくて、かわりに ドリフの”全員集合”のエンディングを連想してしまったのですが、後になってから、「そうだよな〜。」と当たり前のことなのに変に納得する自分 がいました。ラテンにしろスタンダードにしろ僕たちのやっているダンスは二人で踊ることに醍醐味があるのですが、同時にそれが最も難しい ところでもあります。では‘何が二人で踊ることをそれほどまでに難しくするのだろうか?’と考えた時、僕が思うにそれは、‘独りではなく相手が いるという安心感から生じる自分に対する甘え’なのではないでしょうか?! 日本のダンス界では、男性を‘リーダー’、女性を‘パートナー’と 呼ぶのが一般的ですが、とくにこの‘リーダー’という言葉のもつニュアンスのせいなのか、男性のほうに大きな権限があるように考えられがちな 傾向があります。その結果、男性は、「女性が勝手に動くな!」みたいに傲慢になりがちだし、賢い女性はそれを逆手にとって、自分が上手く 踊れないのはリーダーのせいみたいに言う人も少なくありません。‘リーダー’という言葉は、英語の‘lead’という動詞から派生している名詞な わけですが、この‘lead’の本来の意味は‘導く’であって、けっして‘相手を動かす’とか、‘強要する’という意味ではありません。ロンドンで 習っているカレン・ハーディー先生がいつも言うのは、「リードとは相手に次のステップのタイミングと方向を知らせることであって、運動自体を させるものではないし、また女性もそれ以上を望んではだめ。」というものです。例えば女性にスパイラルを踊らせる場合、男性はそのタイミングと 回転する方向を伝えることによって女性をスパイラルに導くだけであって、バランスを保ち、回転運動を行うのは女性自身なのです。

 近年、世界的なレベルにおいても、ステップの複雑化、スピード化が進んでいるので、中にはパートナーのヘルプが無ければ踊れないような ステップもありますが、それ以外の大部分に関しては自分独りでもそれなりに踊れるぐらいの状態になければ、いざ二人で踊っても、そこに プラスアルファとなるものは生まれるはずがありません。つまり二人で踊るこのダンスにおいても、‘自分のことは自分でやる’ということは 必要最低条件なのです。ちなみに僕は英国で、‘リーダー’という言葉を聞いたことがほとんどありません。男性も女性も、相手は‘パートナー’ なのです。これは僕の憶測というか、勝手な解釈なのですが、‘リーダー’という言葉を使わず、互いを‘パートナー’と呼ぶその背景には、 カップル間における男性と女性の立場というか力関係が互角、対等であるべきという意識、そしてそれを成立させるための自分に対する強い 責任感と相手に対する信頼感があるからではないでしょうか。

 さて、たまに兄弟集まれば、兄姉のなかではいまだに僕は末っ子扱い、「嘉昭は・・・、嘉昭は・・・」と言われてます。心の中では、「もう何も できない末っ子嘉昭じゃないぞ!」と思いながらも、そんなふうに扱われるのもなんとなく心地良くて、彼らに付き合ってしまいます。まあ、先の 人生を考えれば、人間としてもダンサーとしてもまだまだ末っ子ですから。                                  

YOSHIAKI