London Report
NO.61


“私達の引退について”


2002/5/9



 5月3日、今年はいつもの年より遅めにロンドン入りです。えーっと、最後にロンドン レポートがアップされたのが2001年11月22日… それから色々ありましたねぇ。ビッグニュースは3月のスーパージャパンで我々北條 ・須田組が引退した事でしょうか?では今回はその辺から書きましょう。

 3月のスーパージャパンカップ全日本セグエ選手権で優勝して引退できた事は本当 に幸せに思っています。でも、これも皆様の応援のおかげと心から感謝しています。 今まで応援してくださってありがとうございました。もうとっくにご覧になりましたよねぇ? どうでした?私達のラストセグエ“NOCTURNE FOR THE BLUES”昨年に引き続きアダルトな 雰囲気・・・でももっと私達の感覚に近いストリート感覚のある作品でした。 セグエが出来上がったのが1月末だったので、十分に練習する期間も、内容を熟考する時間 もあり、自分達が今までに出てきたセグエ選手権の中で、最も良い演技ができた競技会だったと 自負しています。

 私達が引退を決めたのは・・・う〜んいつだったけ?明先生?あ、そうそう、実は 随分前なんですよね。3年前でしたっけ?ウソだと思うでしょ?ドニー先生に聞いてみて! そういう事はちゃ〜んとドニー先生にご相談していたんです。でもその時に「気持ちは分かった。 でも、引退する前に一度でいいから世界選手権に出てくれないか?」と言われたんで す。それは引退後の私達の仕事の為でもあり、そしてドニー先生がビジネス的に私達を 利用する場合に有った方が有利なキャリアだったからなのです。そんな時、先に引退を していた友人の安東先生が「明、世界選手権に出ろよ!世界に出ていって通用するのは お前しかいない。」とJDCの全日本に出場する事を勧めてきたのです。 彼の気持ちはとても嬉しかったけど、自分達はJBDFの選手として海外の競 技会でも戦ってきたという誇りがあったので、その年は出場を拒み続けるうちに過ぎていきました。 しかし安東先生をはじめ、多くの先生方のご尽力によって、翌年から3団体統一の全日本戦 を開催する事になり、出場して優勝すれば日本代表選手として世界選手権に出られる というチャンスがめぐって来たのです。自分達のキャリアの為にはもちろんですが、 「恩人達にお返しをするには自分達が世界選手権に出て行く事しかない」と思い、引退という 気持ちを凍結したのです。さて、ここから世界選手権までは過去のロンドンレポートを読み返 して頂く通り、一つ一つの競技会を大切に、少しずつでも進歩する努力をしながら最初で最後の 世界選手権に向かって進んできました。

   あら?最後って決めてたらどうして第二回目の統一戦や今年のセグエに出場した の?って皆さん疑問に思われる事でしょう。ここにはものすごい葛藤があったのですよ(;-_-) =3 あ、ちなみに明の中にね・・・雅美は明の決定事項には全て従いますから。では、昨年秋の競技の 日程を思い出してみましょう。まず、10月12日英国でロンドンインターナショナル選手権大会に出場、 帰国後大阪で10月28日に開催されたJBDFの全日本戦と言われる全日本プロダンス選手権大会 に当然のごとく出場、そして11月3日に千葉で開催された第二回統一全日本選手権大会、そこから英国に 戻って世界選手権に出場・・・こんな具合でした。私達・・・特に明の気持ちの中では「自分を育てて くれた日本・・・特にJBDFを大事にしたい」という気持ちが一番大きかったので、「引退発表は 日本のJBDFの競技会でしたい!」という思いがとても強かったのです。大阪で引退発表する事も可 能だったのですが、しなかった理由は、その後すぐ世界選手権にも出場するのに、矛盾を感じさせては 人々を裏切るようでイヤだと思った事が一つ、もう一つは丁度その頃エスパン先生が「もし次のスーパー ジャパンに出場するなら、君達に作ってみたいセグエの曲があるんだけど・・・」と言ってくれていた事。 何日も何日も考えて、「せっかくエスパンがそう言ってくれてる事だし、セグエに出場すればJBDFの 競技会で引退発表する事ができる」という考えにまとまったのです。

   スーパージャパンで5種目競技に出場しなかった理由ですか?私達は世界選手権で大変満足のいくダンス を踊る事ができ、結果も得る事ができて、ある意味では自分達の競技ダンスをスッキリと完結させる事が 出来ていたからです。

   引退した感想?これからの抱負?じゃ、それはまた今度ね(^_-)b

AKIRA&MASAMI

                                 


雅美、明、アンドリュー・シンキンソン先生