“ 私と社交ダンス”


2008/4/24


             1話 ホールドするのも大変


  私が北條ダンススクール(その当時は上野ダンス教室と言っていました)のプロとしてスタートしたのは
昭和39年、オリンピックが東京で初めて開催された忘れられない年です。
上野ダンス教室は上野松坂屋の裏にあったビルの地下で、少しうす暗く、
しかし雰囲気のある喫茶店のようなダンス教室でした。
日本中がオリンピックで大変盛り上がっていましたが、私は新米先生でしたので
昼の
12時から午後11時位まで恥をかき・汗をかきながらダンスのレッスンをしていました。
ですから教室にいる間はオリンピックどころではありません。
オリンピックは朝早く家で新聞とテレビのニュースを見て興奮していました。
その頃は白黒のテレビでしたので、今のように美しくありません。


オリンピックの思い出としてはレッスンの合間に見た五輪の雲です、ジェット機で作られた5色の輪、
とても不思議に思いましたが空に描かれた五輪の雲が美しくとても感動いたしました。


 私がダンスのプロになった時代は「ダンス」と言うと、
一般の人はチークダンスを踊ると思われており、私がダンス教室の先生になったと友達に言うと
「いいね、男の人と手を繋いで踊れて」そんな返事しか返ってきませんでした。
ですからその頃はダンスの先生になったとはなかなか友達にも、ましてや他人には言えません。
現在では「ダンスの教師」をしていると言うと、素敵ねとか羨ましいとか言われます。
最近はダンスをオリンピックへ、と言われる時代になったのですから、
随分ダンスに対する社会の目が変わってきたものだとつくづく思います。

その頃、ダンス教室ではチョークを持ってフロアーに足型を書き、
生徒さんがその上に乗りながらフィガーを覚えていました。
チョークで書いた足型の上をまたぎながら動いているのですから、
ホールドをして踊ろうとすると腰を引いてしまい、下ばかり見て、
ホールドをしている手には汗がびっしょり、本人は一生懸命ダンスを踊っているのですが、
まるでお相撲をとっているみたいで、とても優雅なダンスとはほど遠く、又その時代、
女性のダンス教師はチュールで出来たペチコートとフレアースカートをはき、
男性と脚が直接触
れないように工夫をしたものです。
男女間の意識が変わったのだと思いますが、今は自然にホールドして踊る事が出来るようになり、
とても教え易くなりました。





2話 社交ダンスは難しいですか?

 私がダンス教師になりたての頃は、初等科、中等科、高等科と全て各科毎にフィガーが決まっており、
皆が同じフィガーで踊っていました。ダンス教室に入会すると、
初心者の人には最初は前進、後退のウォークを教えます。
次にボックス(スクエア)、
90度づつ回転する右回り、左回りのボックスを教え、
そのあとに始めてダンスの種目のブルース
(現在はスロー・リズム・ダンスと言います)を教えます。

その後でモダン種目(現在はスタンダードと言います)ですと、
ワルツ、タンゴ、クイックのステップを教え、その後でスロー・フォクストロットを教えます。


ラテン種目(現在はラテン・アメリカン・ダンスと言います)ですと、
マンボ、スクェア ルンバ、ジルバを教え、
その後でキューバン・ルンバ、チャチャチャ、サンバ、パソ、ジャイヴを教えます。


社交ダンスを習う初心者が最初に苦労することは、足をチェンジする動作です。
普段歩く時皆さんは足を交互に動かしますよね?
ところがダンスを教えている時「足を閉じて、次に反対の足を動かして下さい」と言うと、
大半の人は足のチェンジが中々出来ません。閉じるという動作が普段、
生活の中にはない動作なので、足を交互に動かすことが難しくなるのです。
同じ足を2度動かそうとする人が多く、足の裏に磁石でもついているのではないか?と思うように
びくとも動かない感じの人もいます。
しかし、少し続けていると段々スムーズに足のチェンジが出来るようになり、
色々な種類のステップを踏むことが出来るようになります。
その頃になりますと、生徒さんも段々社交ダンスが楽しくなってきます。


次に、ダンスを教える上に大変難しい事は、ホールドとボディ・コンタクトです。
今では教えるのにそれほど苦労はしませんが、初心者にとってはまだ簡単ではありません。
私が上野ダンス教室
(現在の北條ダンススクール)のプロになった頃、
一般的には社交ダンスに対するイメージは余り良くなく、
現在のように高年齢のダンス・マニアが非常に多いという現象はとても考えられませんでした。
その頃は若いダンス・マニアの方が比較的多かったように思います。
上野ダンス(北條ダンス)は若い生徒さんが非常に多く、
教室の雰囲気は明るく、賑やかで社交ダンス教室という言葉がピッタリでした。
しかし若い世代の生徒さんであっても、ホールドをし、
ボディコンタクトをしようとすると腰を引いてしまい、
とてもスムーズにはボディコンタクトが出来ませんでした。
それは男女という意識が、相手が先生であっても強く、
ダンスを踊るのを難しくしてしまったのだと私は思いました。
相手は先生ですよ、という意識に変える為、非常に厳しく教えていたように思います。


今は「社交ダンスは楽しい、そして健康に良い」ということを教えていこうと思っています。

社交ダンスの楽しさは2人で音楽を聴きながら会話をし、踊る事だと思います。
最初は難しいと思いますが、少しづつダンスに慣れてきますとダンスが楽しくなり
「毎日のように踊っていたい」と言う生徒さんが沢山います。


私も40年以上ダンス人生を歩んでいます、
そのお陰で健康で比較的明るい人生を歩めていると自負しています。
多くの人達が社交ダンスを楽しむことにより、健康でいてくれればとつくづく思う今日この頃です。





              3話 教える事は、教わること


北條先生は週1回(非常に多忙なので変則的)パソコンの薩摩先生に来て頂き、レッスンを受けています。
私も時々、割り込んで指導を受けさせて頂いています。
お蔭様でまあまあ人並みにパソコンと向かい合えるようになりましたが、まだまだ悪戦苦闘、最近は忘れる事が余りにも多く頭を悩ましています。

先日薩摩先生がレッスンの時、北條先生が「人に教える事はその人からも教わることである」と言った言葉が大変印象に残っていると言ってました。
私もその言葉は教師にとってとても大切な言葉だと思います。

それと同じようなことですが、私は恥ずかしながら、長いこと泳ぐことが出来ず、53歳の時生まれて始めてスイミングを習いました。
最初はプールに入ること自体怖く、ましてや、水に浮くなんてとても信じられない感じでした。

スイミングの先生が水を怖がる私に小さな子供を指導するような感じで大変優しく教えてくれました。
私は長いこと競技選手を育てることに一生懸命でした、何時も技術の向上に向けてのみ考えて、初心者の気持ちを忘れていました。
初めてダンスを習いに来る人の気持ちは、スイミングを始めて習う私の気持ちと同じだと、その時痛感させられました。

教える事ばかりでなく、時にはダンス以外の事を教わる事も、人を指導する上にとても大切だとつくづく思い知らされました。





山口 慶子