北條章宏社長と北條明子副社長の還暦のお祝い会

北條明&須田雅美

1999/8/28

左から慶子常務、章宏社長、明子副社長

祝 還暦!(^○^)! 社長&大蔵省 8月21日(土)スタジオの営業終了後、スタッフ全員で北條章宏社長と北條明子副社長の還暦のお祝い会をしました。

会場はスタジオ近くにある、すき焼きの今半・・・ほとんどのスタッフがそのような高級なところで食事をしたことがなく、食べ盛りの若者が「どんな所ですかぁ?」と聞いてくるので「高級松坂牛を食べさせてくれる超有名店で、そのお肉って言ったらもうとろけそうで、でも脂っぽくないのよね。しかも自分ではなんにもしなくてもいいんだよー。おねえさんがぜーんぶ目の前で調理してくれるんだぁ。」というと、「はぁーっ、早く行きたい!」とソワソワしだしたので「でもね、君達には量が少ないと思うから先に何か食べて行った方がいいよ。」と教えてあげました。

社長のお誕生日は10月15日、大蔵省(明子副社長)は8月27日。まだ日にちはあったのですが、みんなが集まれる唯一の日だったので、遅れてやるより先にしようとこの日になったのです。 還暦のお祝いは大げさにしないほうが良いと言われていますが、「お誕生日パーティーだと思えばいいじゃん、それにこんなときじゃないと高級料理なんてみんな食べられないし・・・」っていうことでスタッフだけでお祝いをすることになったのです。

北條社長は東京の日本橋のお生まれで、ご先祖様はなんと、あの小田原の北條早雲公なんです!ちゃんと家系図までお寺に保管されているんですよ。ご自分の身を削って、数々のトップダンサーを世に送り出され、大成功を納めているかのように見えますが、色んなご苦労があったようです。 幼少の頃柳橋にお家があり、東京大空襲の日に防空壕の中から自分のお家が燃えてなくなっていくのを見たことが今でも忘れられないとこの日もおっしゃっていました。ダンスを始めたのは大学を卒業してマツダ自動車にお勤めしている時、先代の北條精孝先生が倒れられ、後継者としてダンスの世界に足を踏み入れたそうです。実は社長よりも先に北條ダンススクールでダンスをしていたのが我らが大蔵省:北條明子先生でした。お二人はカップルを組まれ、競技会にも出場していましたが、明のお兄様:武さん(このHP製作担当者)の誕生とともに競技生活を退き、主婦業に専念することになったそうです。・・・そして明が後に生まれるのです・・・ その後山口慶子先生とカップルを組み、とっても小さな身体なのにとってもパワフルに踊る選手としてご活躍なさいました。持ち前の気さくで明るい性格は選手仲間でも愛され、モダンB級で優勝なさったときには、お仲間の選手達に胴上げされ、前代未聞のオナーダンスのアンコールまでなさったそうです。故ベニー・トルマイヤー氏に「あと5cm身長が高ければ絶対日本のチャンピオンになれるのに・・・」と惜しまれたとうり、才能がありながらも残念ながら社長達はチャンピオンにはなれませんでした。このことは社長ご自身が一番悔しい思いをなさったことでしょう。でも我らが、北條章宏のすごいところは「自分ができなかったことを後輩にさせよう。チャンピオンを育てよう。」と気持ちを切り替えたところです!そのおかげで今の私達があるのです!!社長ありがとう!!!!!これからも元気いっぱいがんばって、私達を叱咤激励して下さい。そして大蔵省、ダンスしか知らない私達社員をダンサーとしてだけでなく、人間としても一人前になれるよう、よろしく(おてやわらかに)ご指導下さい。よろしくお願いします。

社長と慶子先生は競技を引退されてから丸20年だとおっしゃっていましたが、このパーティーの2日後の月曜日からご自分達のお勉強の為に渡英なさいました。これは毎年恒例の社長達のスケジュールなんですよ。素晴らしいと思いませんか?競技会を見学に行くだけではなく、レッスンを受け、練習をする為に留学なさるのですから。本当に頭が下がります。
社長、慶子先生、もうすぐ私達もロンドンに行きますからね。待ってて下さーい!! (^.^)/~~~

ちょっと補足します。
先日、初めて聞いたのですがまだ、父と母で競技会に出ていた時の話です。
当時はD級からC級に昇級するのに、決勝に残るだけでは昇級できず、決勝の5位以上のカップルが昇級していたそうです。
それで、父と母はD級戦の決勝6位を5回ぐらいやったそうです。5回目の時は本当に悔しかったと話していました。
やはり何事もあきらめず、努力すれば道は開けるのですね。本当に還暦おめでとうございます。

TAKESHI